物語全文
意識が浮上すると、むわりとした熱気が肌にまとわりついた。
潮の香りと、濃密な植物の匂い。そして、すぐ間近で聞こえる、誰かの荒い息遣い。
重い瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは、見たこともないような鬱蒼とした木々と、その隙間から覗く抜けるような青空だった。
「…おい、気がついたか」
低い、腹に響くような声。
すぐ隣に、たくましい腕を組んで座り込んでいる男がいた。
艶のある日に焼けた肌、厚い胸板を強調する軍服。整えられた髭に、角ばった輪郭。鋭い眼光が、俺を射抜いている。
「状況は見ての通りだ。どこかの島にいるらしい。お前、名前は?」
混乱する頭で、かろうじて自分の名前を告げる。健人だ、と。
男は「宗次だ」と短く名乗った。
宗次と名乗った男の視線は俺の全身を舐めるように観察し、それから周囲へと鋭く向けられる。その動きには一切の無駄がなく、明らかに一般人ではないことが窺えた。
俺たちは見知らぬ無人島に二人きりでいる。
宗次という男は軍人らしいが、それ以外のことは何もわからない。
ただ、彼の自信に満ちた佇まいが、この絶望的な状況において、奇妙な安心感を俺に与えていた。
「さて、どうするかな。まずは水と食い物を探すのが先決だろうが…お前、何かサバイバルの心得はあるか?」
彼の問いに、俺は力なく首を振ることしかできなかった。
宗次は「だろうな」と呟くと、立ち上がって大きく伸びをした。その動きだけで、鍛え上げられた全身の筋肉が軍服越しに隆起するのがわかった。
「まあいい。俺に任せておけ。お前は足手まといにならんよう、ついてこい」
その命令口調に少しむっとしたが、反論できる材料は何もない。
この男についていくしか、生き延びる道はなさそうだ。
俺は覚悟を決め、ふらつく足で立ち上がった。
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宗次の指示に従い、まずは水源を探しに森の奥へ進む
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俺の返事を聞くまでもなく、宗次は背を向けて鬱蒼とした森の中へと歩き始めた。
その広い背中は、まるでこの状況を楽しんでいるかのように堂々としている。
俺は慌ててその後を追った。
踏みしめる地面は湿った土と腐葉土で柔らかく、時折ぬかるみに足を取られそうになる。
生い茂るシダや蔓を、宗次は分厚い腕で力強く薙ぎ払い、道なき道を進んでいく。
俺は彼の作った僅かな隙間を縫うように、必死でついていった。
「おい、健人。遅れるなよ。はぐれたら最後、二度と会えんと思え」
振り返りもせずに投げかけられる言葉は厳しいが、その声色には不思議と俺を気遣うような響きがあった。
…気のせいだろうか。
汗が額から流れ落ち、目に入る。Tシャツはとっくに肌に張り付き、不快感が募る。
喉はカラカラに渇き、ひりつくような痛みさえ感じ始めた。
どれくらい歩いただろうか。太陽は木々の葉に遮られ、時間の感覚が曖昧になっていく。
不意に、宗次が立ち止まった。
俺は危うく彼の背中にぶつかりそうになり、慌てて足を止める。
「……静かにしろ」
低い声で囁き、宗次は屈み込む。俺も倣って身を低くした。
彼の視線の先を追うと、木々の隙間から、何かがきらりと光るのが見えた。
水だ。
湧き水だろうか、岩の間から水が染み出し、小さな水たまりを作っている。
絶望的な状況下で見つけた命の源に、俺は思わず声を上げそうになった。
「…よし。当たりだな」
宗次は満足げに口の端を吊り上げると、慎重に周囲を警戒しながら水たまりへと近づいていく。
その動きは、まるで獲物を狙う獣のように滑らかで、一切の無駄がない。
俺も唾を飲み込み、彼の後に続いた。
水たまりは澄み切っており、底の小石まではっきりと見える。
宗次はまず自分の指先を水につけ、匂いを嗅ぎ、それから僅かに口に含んで味を確かめた。
「…問題ない。飲めるぞ」
その言葉を合図に、俺は我慢できずに水たまりに駆け寄り、両手で水をすくってがむしゃらに口へと運んだ。
冷たい水が喉を潤し、乾ききった身体の隅々まで染み渡っていく感覚は、まさに天国だった。
夢中で水を飲んでいると、ふと、宗次の視線を感じた。
顔を上げると、彼は俺の隣に屈み込み、軍服の袖をまくり上げながら、太い腕で同じように水を飲んでいた。
ごくり、と彼の喉が大きく上下する。
岩清水に濡れた彼の唇が、妙に艶めかしく見えた。
滴る水滴が、日に焼けた首筋を伝い、軍服の襟元へと吸い込まれていく。
その光景から、なぜか目が離せなかった。
「どうした? そんなに見つめて。俺の顔に何かついてるか?」
不意に声をかけられ、俺はびくりと肩を震わせた。
見惚れていたことを見透かされたようで、顔に熱が集まるのを感じる。
「い、いや、なんでもないです…」
慌てて視線を逸らし、再び水を飲むふりをする。
心臓がやけにうるさく鳴っている。
この男と二人きり。この島で、これからどうなってしまうのだろうか。
生き延びられるのかという不安と、それとは全く別の、得体の知れない感情が胸の中で渦巻いていた。
「さて、水分は確保できた。次は食いもんだな。それと、夜を越すための場所も探さねえと」
宗次は立ち上がると、濡れた口元を手の甲で無造作に拭った。
その仕草一つ一つが、やけに男らしく、力強く見える。
俺も立ち上がり、彼の隣に並んだ。
さっきまでの絶望感は、冷たい水を飲んだことで少しだけ和らいでいる。
「この近くに洞窟か、雨風をしのげる岩陰でもあればいいんだが…」
彼は周囲を見渡し、地形を確かめるように鋭い視線を巡らせる。
その横顔は真剣そのもので、頼もしさが滲み出ていた。
この男がいれば、本当に何とかなるかもしれない。
そんな希望が、俺の心にかすかな光を灯し始めていた。
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食料調達を手伝うと申し出て、植物に関する知識を披露し、宗次を感心させる(セックスはしない)
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俺は意を決して、宗次に声をかけた。
今までの俺なら、こんな状況で自分から何かを申し出るなんて考えられなかっただろう。
だが、彼の背中を見ているうちに、ただ守られているだけではダメだという思いが湧き上がってきたのだ。
「あの、宗次さん」
「……ん? どうした」
振り向いた宗次の目に、わずかな訝しさが浮かんでいる。
無理もない。さっきまでおどおどと後をついてきていただけの男が、急に話しかけてきたのだから。
「食料を探すの、手伝わせてください。少しだけ、植物には詳しいんです」
俺は、自分の声が少し震えているのを感じながらも、はっきりとそう告げた。
大学では農学部に所属していて、フィールドワークで山に入ることも多かった。
もちろん、こんな熱帯のジャングルは初めてだが、食べられる植物と毒のある植物を見分ける最低限の知識ならある。
俺の言葉を聞いた宗次は、意外そうな顔で眉を上げた。
彼は俺の全身をもう一度、値踏みするようにじろりと見下ろす。
その視線に少し気圧されそうになるが、ここで引くわけにはいかない。
「ほう……植物に、ねぇ。学生か何かか?」
「はい、大学でそういうのを……」
俺が答えると、宗次はふっと口元を緩めた。
それは嘲笑とは違う、どこか面白がるような、それでいて俺の真意を探るような笑みだった。
「いいだろう。それじゃあ、お手並み拝見といくか。そこら辺に、何か腹の足しになりそうなもんはあるか?」
試すような口調。
俺はごくりと唾を飲み込み、改めて周囲を見渡した。
鬱蒼と生い茂る木々、シダの仲間、名も知らぬ蔓植物。
視界のほとんどが濃い緑色で埋め尽くされている。
知識があるとは言ったものの、この熱帯雨林の植生は、俺が知っている日本のそれとは全く違う。
本当に、何かを見つけられるだろうか。
一瞬、不安が胸をよぎる。
だが、宗次の期待のこもった(ように見えた)視線を受けて、俺は必死に記憶の引き出しを探った。
講義で習ったこと、文献で読んだこと……。
そして、俺の目はある一点に釘付けになった。
少し離れた場所、大きな木の根元に生えている、見慣れない形の芋のようなもの。
「あ……あれ、もしかしたら……」
俺は駆け寄り、その植物の前に屈み込んだ。
ハート型の大きな葉、地面から少しだけ顔を覗かせている赤紫色の塊茎。
間違いない。タロイモの仲間だ。
地域によっては毒を持つ品種もあるが、ここのはどうだろうか。
「これ、タロイモの仲間だと思います。ちゃんと火を通せば、食べられるはずです」
俺は興奮を抑えながら、宗次を振り返って言った。
宗次は俺の隣に屈み込むと、太い指でその芋に触れ、匂いを嗅いだ。
「……なるほどな。確かに、芋の匂いがする」
彼は感心したように頷くと、立ち上がって腰に下げていた鞘から、無骨なサバイバルナイフを抜き放った。
鈍い銀色の光が、木漏れ日を反射してきらめく。
その手際の良さに、俺は思わず息を呑んだ。
「よし。掘り出してみるか。健人、お前は周りにまだ同じようなものがないか探してみてくれ。だが、あまり遠くへは行くなよ」
「は、はい!」
俺は力強く返事をすると、宗次が芋を掘り出すのを横目に、周囲の探索を始めた。
宗次に認められた。その事実が、俺の心を軽くする。
ただのお荷物じゃない。俺にも、この状況でやれることがあるんだ。
そう思うと、不思議と力が湧いてきた。
幸い、タロイモは群生していたらしく、すぐにいくつか同じものを見つけることができた。
俺が指し示す場所を、宗次は黙々とナイフで掘り起こしていく。
彼のたくましい腕が動くたびに、上腕の筋肉が盛り上がり、額には汗が光る。
土を掘り返す力強い動作、真剣な横顔。
その一つ一つが、俺の目に焼き付いて離れない。
気づけば、俺は彼の働く姿をぼんやりと見つめていた。
この男といると、心臓が妙な音を立てる。
それは、この極限状況がもたらす吊り橋効果のようなものなのだろうか。
それとも……。
しばらくして、俺たちの前にはこぶし大の芋が十数個も集まっていた。
これだけあれば、数日は食いつなげるだろう。
「上出来だな、健人。お前がいなけりゃ、見過ごしていたかもしれん」
宗次は芋を軍服の上着で包みながら、満足げに言った。
その言葉に、俺は頬が熱くなるのを感じた。
褒められたことが、こんなにも嬉しいなんて。
「さて、食いもんは確保できた。次は本格的に寝床を探すぞ。陽が傾き始めてる。急がねえと、夜のジャングルは厄介だ」
宗次が空を見上げると、木々の隙間から見える空は、確かに少しずつオレンジ色に染まり始めていた。
彼に言われるまで、時間の経過に全く気づかなかった。
芋の入った makeshift bag を肩に担ぎ、宗次は再び歩き出す。
俺もその後に続いた。
さっきまでとは違う。
彼の背中を追いかける足取りは、確かな自信に満ちていた。
俺は、この人の役に立てる。
その確信が、何よりも強い力になっていた。
しばらく進むと、目の前にごつごつとした岩肌が広がっている場所に出た。
宗次は足を止め、鋭い目で周囲を観察する。
「……いい場所を見つけたな。あそこなら、雨風はしのげるだろう」
彼が指さしたのは、岩壁が大きく抉れたようになっている場所だった。
天然の洞窟、というほど深くはないが、大人二人が横になるには十分なスペースがある。
地面も比較的乾いていて、獣の痕跡も見当たらない。
まさに、うってつけの場所だった。
俺たちはその岩陰に荷物を下ろし、ようやく一息つく。
どっと疲れが押し寄せてきた。
身体は泥と汗で汚れ、服は湿っている。
それでも、安全な場所と食料を確保できたという安堵感は、何物にも代えがたいものだった。
「よし、じゃあ火を起こす。健人、お前はそこの芋の泥を落としておいてくれ。水場はさっきの場所まで戻るしかないが…」
「いえ、大丈夫です。行ってきます」
俺は芋をいくつか手に取ると、再び立ち上がった。
宗次は少し驚いたように俺を見たが、すぐに「気をつけて行け」とだけ言って、火口になりそうな枯れ葉や小枝を集め始めた。
来た道を慎重に戻り、先ほどの岩清水で芋の泥を洗い落とす。
冷たい水が、火照った手に心地よかった。
空を見上げれば、星が瞬き始めている。
無数の星々が、まるで宝石を散りばめたように夜空を飾っていた。
こんな美しい星空を見るのは、いつ以来だろうか。
絶望的な状況であるはずなのに、その光景は不思議と俺の心を穏やかにしてくれた。
岩陰に戻ると、宗次は見事に火を起こしていた。
パチパチと音を立てて燃える炎が、周囲を暖かく照らし出している。
彼はナイフで木の枝を削り、簡易的な串を作っていた。
「おかえり。準備はいいぞ」
俺は頷き、洗った芋を彼に渡す。
宗次は手際よく芋を串に刺し、火にかざした。
やがて、香ばしい匂いが立ち上り始める。
ぐぅ、と俺の腹が盛大に鳴った。
恥ずかしさで顔を赤らめる俺を見て、宗次は楽しそうに笑った。
「はは、正直でいいじゃねえか。もう少しだ、我慢しろ」
彼の笑い声が、洞窟の中に響く。
その声を聞いていると、俺の胸もなんだか温かくなるのだった。
炎に照らされた彼の横顔は、昼間見た時よりもどこか柔らかく見える。
日に焼けた肌、たくましい腕、整えられた髭。
その全てが、この暗闇の中でやけに鮮明に俺の目に映った。
心臓が、また少しだけ速く脈打つのを感じていた。
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火の番をしながら、今後の食料確保計画について宗次に提案し、サバイバル生活をより安定させるための議論を交わす(セックスはしない)
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パチ、パチ、と乾いた木が爆ぜる音だけが、静かな夜の岩陰に響いていた。
目の前の焚き火が揺らめき、俺と宗次さんの影を岩壁に大きく映し出す。
串に刺さった芋から立ち上る、甘く香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、空腹で鳴りそうになる腹を必死に抑え込んだ。
隣に座る宗次さんは、黙って炎を見つめている。そのたくましい横顔は、揺れる光に照らされて、普段の厳しさとは違う、どこか穏やかな表情を浮かべていた。
この男と二人きり。数時間前には想像もできなかった状況だ。
不安がないわけじゃない。でも、それ以上に、彼の隣にいると不思議な安心感があった。
この人なら、何とかしてくれる。そんな根拠のない信頼が、俺の心を満たしていた。
ただ、いつまでも彼に頼ってばかりではいられない。俺にもできることがあるはずだ。
さっき芋を見つけた時の、彼の感心したような顔が脳裏に蘇る。あの時の高揚感を、もう一度。
「……あの、宗次さん」
俺は意を決して、隣の男に声をかけた。
宗次さんは視線を炎から俺へと移す。暗闇に慣れた瞳が、じっと俺を捉えた。
「どうした。腹が減って我慢できなくなったか?」
からかうような口調に、少しだけ頬が熱くなる。
「いえ、そうじゃなくて……今後の食料のことなんですけど」
俺の真剣な声色に、宗次さんの表情が少しだけ引き締まった。彼は黙って俺の言葉の続きを促す。
「今日見つけた芋で、数日は持つと思います。でも、これだけだと栄養が偏ってしまう。それに、いつまでも見つかるとは限らないですし……。だから、もっと安定して食料を確保する方法を考えた方がいいんじゃないかと」
我ながら、随分と理路整然と話せていることに驚いた。
大学のゼミでプレゼンしていた時のことを思い出す。あの時は、教授や同級生の前で、足が震えるほど緊張したものだが、今は違う。
隣にいるのは、たった一人の男。だが、その存在感は、ゼミ室にいた誰よりも大きく、俺の言葉に真摯に耳を傾けてくれているのがわかった。
宗次さんは腕を組むと、「ほう」と短く呟いた。
「……それで? 何かいい考えでもあるのか、先生」
先生、という言葉に、また少しからかわれているような気がしたが、彼の目は笑っていなかった。
俺の知識を試している。値踏みしている。それがひしひしと伝わってきた。
「まず、タンパク質が必要です。魚とか、小動物とか……。この島にどんな生き物がいるかわかりませんけど、何か罠を仕掛けてみるとか」
「罠、ね。具体的にどんなもんだ?」
「簡単なものなら、木の枝と蔓で作れると思います。地面を少し掘って、獲物が落ちる落とし穴とか、しなった枝の力を利用する……ええと、首括り罠みたいなものとか」
俺は地面に落ちていた木の枝を拾い、焚き火の光を頼りに簡単な図を描いて説明した。
宗次さんは黙って俺の説明を聞いていたが、やがて満足そうに頷いた。
「なるほどな。理屈はわかっているらしい。あとは実践できるかどうか、だな」
彼はそう言うと、俺が描いた図を無骨な指でなぞった。
「この仕組みなら、明日、使えそうな蔓を探してきて作ってみるか。お前、手先は器用な方か?」
「え……まあ、人並みには」
「よし。なら、罠作りはお前に任せる。俺は周辺の地形と、他に何か食えそうなものがないか探してみよう。分担した方が効率的だ」
任せる、と言われた言葉が、ずしりと重く、そして心地よく胸に響いた。
彼が俺を、対等なパートナーとして認めてくれた。その事実が、たまらなく嬉しかった。
「はい! やってみます!」
俺が力強く頷くと、宗次さんはふっと口元を緩めた。
その時、ぱちん、と一際大きな音を立てて火の粉が舞い上がる。
芋の焼ける香ばしい匂いが、一層強くなった。
「……そろそろいい頃合いだな」
宗次さんは火から串を上げ、熱さに顔をしかめることもなく、素手で芋を一つ外した。
そして、ふーふーと息を吹きかけて冷ますと、無言で俺に差し出した。
「え……」
「一番最初に頑張ったやつが、最初に食うもんだろ。遠慮するな」
差し出された芋は、熱気を帯びていて、湯気が立ち上っている。
俺は恐る恐る、それを受け取った。ずしりとした重みと、じんわりと伝わる温かさが、掌に心地よかった。
二つに割ると、ほくほくとした白い中身が現れる。
たまらず一口、頬張った。
「……っ、うまい……!」
思わず声が漏れた。
特別な味付けは何もない。ただ焼いただけの芋。
それなのに、今まで食べたどんなご馳走よりも美味しく感じた。
甘くて、香ばしくて、そして温かい。
空っぽの胃に、その温かさがじんわりと染み渡っていく。
生きている、という実感が、腹の底から湧き上がってくるようだった。
夢中で芋を頬張る俺を見て、宗次さんは満足そうに目を細めた。
彼も自分の分の芋を手に取り、ゆっくりと味わい始める。
無言の時間が流れる。
聞こえるのは、炎が爆ぜる音と、俺たちが芋を食べる音だけ。
気まずさは、全くなかった。
むしろ、この静寂が、共有しているこの時間が、とても満ち足りたものに感じられた。
芋を一つ食べ終えると、あれだけ感じていた強烈な空腹が、嘘のように和らいでいた。
満腹感と共に、今日一日の疲労がどっと押し寄せてくる。
瞼が自然と重くなってきた。
「眠いか?」
不意に声をかけられ、俺ははっと顔を上げた。
宗次さんの目が、心配そうに俺を覗き込んでいる。
「あ、いえ、まだ……火の番をしないと」
「俺がやっておく。お前は先に休め。明日も早い」
「でも……」
「命令だ」
有無を言わせぬ低い声。
その言葉には逆らえなかった。
俺は素直に頷くと、岩壁に背中を預けるようにして横になった。
地面は硬く、決して寝心地が良いとは言えない。
それでも、壁に守られているという安心感と、すぐそばで燃える焚き火の暖かさ、そして何より、宗次さんがすぐ近くにいるという事実が、俺の心を穏やかにしてくれた。
宗次さんは、時折薪をくべながら、静かに炎を見つめている。
その広い背中は、まるでこの岩陰全体を守る砦のように見えた。
俺は、その頼もしい背中を見つめながら、ゆっくりと意識を手放していった。
どれくらい眠っていただろうか。
ふと、身体を揺さぶられる感覚に、俺はうっすらと目を開けた。
目の前には、見慣れない天井……いや、ごつごつとした岩肌が広がっている。
そうだ、俺は無人島にいるんだった。
昨日の出来事が、夢ではなかったことを思い知らされる。
身体を起こすと、隣で寝ていたはずの宗次さんの姿がなかった。
焚き火はまだ熾火となって、かろうじて周囲を赤く照らしている。
まさか、何かあったんじゃ……。
不安が胸をよぎった、その時だった。
「……起きたか」
声のした方を見ると、岩陰の入り口に宗次さんが立っていた。
その手には、昨日俺たちが水を飲んだ場所で汲んできたのだろう、大きな葉で作った即席の器に水がなみなみと注がれている。
彼は朝日を背にして立っていて、そのシルエットがやけに大きく見えた。
「おはよう、健人。よく眠れたか?」
その穏やかな声に、俺は昨夜の不安がすっと消えていくのを感じた。
「はい……宗次さんは?」
「俺はまあ、こんなもんだ。それより、これを飲め」
宗次さんは俺の隣に屈み込むと、水の入った葉の器を差し出した。
俺はそれを受け取り、ゆっくりと喉に流し込む。
少しぬるいが、乾いた身体に染み渡っていくのがわかった。
「さて、と。朝飯を食ったら、早速昨日の計画を実行するぞ。お前は罠作り、俺は周辺の偵察だ。いいな?」
彼の目は、もうすっかり今日の活動に向けられている。
そのエネルギッシュな姿に、俺も奮い立たされるようだった。
まだ眠いなんて言っていられない。俺も、俺のやるべきことをやらなければ。
「はい!」
俺は力強く返事をし、残っていた芋を朝食としてかじり始めた。
今日という一日が、また始まる。
この厳しい環境で、俺たちは生き抜いていけるだろうか。
不安よりも、今は不思議と、やる気がみなぎっていた。
宗次さんと一緒なら、きっと大丈夫だ。
そんな確信にも似た思いを胸に、俺は固い芋を力強く噛み砕いた。